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2008/02/16 (Sat)
名古屋に日帰り出張での貴重な体験。
1件目のかたーい打ち合わせが終わって、2件目は高校時代の友達のヘルプ。軽いのりで名古屋市内の某ショップへ打ち合わせに。いつもの感覚でショップが必要としているシステム、デザイン、要望をヒアリングして頭の中で設計図は描かれてく。この打ち合わせのあとそのショップオーナー美人姉妹の母上に出会い生まれて初めてスピリチュアルな体験をすることに。
普段の生活にテレビが含まれないネット人間な俺だけどスピリチュアルカウンセラーと呼ばれる人の存在は知っていた。どんなトリックなんだろ?って感じで全く信じちゃいなかったんだけどね。
以前からそのショップにそういう人がいるとは聞いていたけど、正直信じちゃいなかったし直感で生きてて十分楽しい人生だから興味も薄かった。今日その人に会うまではその話すら忘れてたしね。
友達から紹介されて、あまのじゃくな俺は ”人生につまずいたら相談します。” と断ったんだけど、半ば強制的にお話がスタート。そしてここから驚きの連続。
興味を持った事は満足するまでやめない。
簡単に他人に心を開かないが開いたふりをすることがある。
指図を受けるのが嫌い。自分が思い描いたこと意外はやらない。
今すんでる地域がお気に入り。
文字にするとたったの数行だけど、補足もいれて時間にしてみると約15分間。震える程、頭の中が若干混乱する程ビンゴが続く。もうこの頃には "先生" って呼んでたっけ。先生にしてみればこのへんはジャブだったのかな?
続いて家族の話だったんだけど、ここは自分の事じゃないしリアルにビンゴすぎて書けません。。。
そして未来の話。ここから先は答え合わせできるのは数年後なので何とも言えないけど先生からのありがたいお言葉は以下のとおり。
去年 :
苦労した年だが今後の人生は末広がり。
今年〜 :
準備が整いかなり順調だが年末少しトラブル。
38歳 :
どこかの高速道路の脇にビル(いびつな形している)をもつ。
2人の女性が出現しそのうちの1人(すらっと細身)と結婚。
45歳 :
2人の人物と出会い仕事の話を持ちかけられる。
暗い影が見えるのでかなりの注意が必要。
なんだか素敵な未来が待ってるようにも見えるけど45歳で暗い影が現れるのが結構楽しみだったりするトラブル大好きな俺。先生には本当に貴重な体験をさせてもらいました。
でもやっぱり自分の人生は自分でコントロールしたいので以下のように変更させてもらいます。
38歳 :
どこかの高速道路の上にビル(ワイセツな形している)をもつ。
12人の女性が出現しそのうちの5人(ずらっと細身)と結婚。
45歳 :
2人の人物と出会い本当にあった怖い話を持ちかけられる。
暗い影が見えるのでかなりおびえる。
もうすぐこの僕も30歳
僕のギターにはいつもヘビーゲージ 
1件目のかたーい打ち合わせが終わって、2件目は高校時代の友達のヘルプ。軽いのりで名古屋市内の某ショップへ打ち合わせに。いつもの感覚でショップが必要としているシステム、デザイン、要望をヒアリングして頭の中で設計図は描かれてく。この打ち合わせのあとそのショップオーナー美人姉妹の母上に出会い生まれて初めてスピリチュアルな体験をすることに。
普段の生活にテレビが含まれないネット人間な俺だけどスピリチュアルカウンセラーと呼ばれる人の存在は知っていた。どんなトリックなんだろ?って感じで全く信じちゃいなかったんだけどね。
以前からそのショップにそういう人がいるとは聞いていたけど、正直信じちゃいなかったし直感で生きてて十分楽しい人生だから興味も薄かった。今日その人に会うまではその話すら忘れてたしね。
友達から紹介されて、あまのじゃくな俺は ”人生につまずいたら相談します。” と断ったんだけど、半ば強制的にお話がスタート。そしてここから驚きの連続。
興味を持った事は満足するまでやめない。
簡単に他人に心を開かないが開いたふりをすることがある。
指図を受けるのが嫌い。自分が思い描いたこと意外はやらない。
今すんでる地域がお気に入り。
文字にするとたったの数行だけど、補足もいれて時間にしてみると約15分間。震える程、頭の中が若干混乱する程ビンゴが続く。もうこの頃には "先生" って呼んでたっけ。先生にしてみればこのへんはジャブだったのかな?
続いて家族の話だったんだけど、ここは自分の事じゃないしリアルにビンゴすぎて書けません。。。
そして未来の話。ここから先は答え合わせできるのは数年後なので何とも言えないけど先生からのありがたいお言葉は以下のとおり。
去年 :
苦労した年だが今後の人生は末広がり。
今年〜 :
準備が整いかなり順調だが年末少しトラブル。
38歳 :
どこかの高速道路の脇にビル(いびつな形している)をもつ。
2人の女性が出現しそのうちの1人(すらっと細身)と結婚。
45歳 :
2人の人物と出会い仕事の話を持ちかけられる。
暗い影が見えるのでかなりの注意が必要。
なんだか素敵な未来が待ってるようにも見えるけど45歳で暗い影が現れるのが結構楽しみだったりするトラブル大好きな俺。先生には本当に貴重な体験をさせてもらいました。
でもやっぱり自分の人生は自分でコントロールしたいので以下のように変更させてもらいます。
38歳 :
どこかの高速道路の上にビル(ワイセツな形している)をもつ。
12人の女性が出現しそのうちの5人(ずらっと細身)と結婚。
45歳 :
2人の人物と出会い本当にあった怖い話を持ちかけられる。
暗い影が見えるのでかなりおびえる。
もうすぐこの僕も30歳


2008/01/25 (Fri)
麒麟の田村裕さんの『ホームレス中学生』をY!トピックスでみて思い出す。残念ながらまだ読んでないけどちょっとだけホームレスの経験がある俺様。
イギリスに留学してた頃の何年も前のお話。
日本語をゆーっくり話せば世界で通じると信じてたくらいの小さな脳みそしかない俺だったけど、イギリスで英語を勉強するならロンドン市内の学校より学費は高くても郊外にある学校へ行った方がいいとのアドバイスを参考に語学学校の冊子をサラっとめくって決めた偶然開いたページにあった学校。
チェルトナムというロンドンからバスで3時間くらいの所にあるイギリスの田舎町。ここで過ごした思い出は省略するけどとにかく素敵な2年があっという間に過ぎてく。気がつけば銀行口座は余裕のない数字に。。。あたりまえだよね、2年間完全な学生生活、しかもその当時は就労ビザももってないし田舎町では日本人を雇ってくれるなんて奇跡に近かったから。日本へ一時帰国&出稼ぎするって選択肢もあったんだけどなんだか戻って来れなくなりそーで。そんな感じでロンドンに移住を決心。
今はもっと厳しくなってるらしいけど、当時は12ヶ月以上の学生証明書があれば週20時間までは仕事ができる学生ビザなるものがあった。これを取得する方法はどこかの学校へ12ヶ月以上の学費をおさめて証明書を発行してもらう。その証明書をパスポートと一緒に大使館へもってくやりかたと一度イギリスを出国して戻ってくるときに入国審査官に学生ビザを申請するやりかた。
早速ロンドンのやすーい語学学校(たしか12ヶ月で8万円くらい)へ入校手続き。フラットを借りる余裕もなかったので一番安いルームシェアを依頼。順調に書類は揃ってお別れパーティーで泥酔。あとはビザを申請するため一度出国。冬休みの旅行をかねてスペインに一時帰国する友達2人と一緒にマジョルカ島へ出発!
と、順調に進む俺のロンドン移住計画。このあとの計画は以下の通り。
1. イギリスに戻ったときに空港で学生ビザをもらう。
2. 学校が探してくれるルームシェアの部屋で新しい生活を始める。
3. ロンドンで働きながら学校へ通う。
最高なクリスマスをマジョルカ島で過ごしていざイギリスへ戻る。ガトウィック空港のパスポートコントロールで無事に12ヶ月の学生ビザをGET。ここまではすべてが計画通りにすすんでたんだけど、ここから大殺界スタート。
新しい学校にルームシェアの部屋がきまったらチェルトナムの住んでたフラットに郵便で送ってほしいとリクエストしてたのでヴィクトリア駅の公衆電話から管理人のおばちゃんに電話。年明けのご挨拶を終えて郵便物の質問を。しかーし郵便はないとのこと。。。
今から数年前の1月2日。クリスマスから年明けしばらく街全体の機能が停止するロンドンで電話を切ったその瞬間気がついた。大きなスーツケースとギターケースを持ったホームレス留学生の誕生。
学校に電話してみるもののやっぱり留守電。チェルトナムへ戻れば友達の家に泊めてもらえるとも考えたけど、涙と泥酔のお別れパーティーからまだ2週間もたってない。ここで戻っては日本男児じゃないなんて不要なプライドでロンドンに挑戦。知り合いもいないし行くところも無いといういきなり修羅場で迎えてくれたロンドン。
まずは所持金の確認。ATMで残高を確認すると900ポンド(約18万円)というリアルな数字。このなかには日本へ帰る飛行機代もふくまれてた(約7万円)。そして仕事が見つかるまでの生活費も。優雅にホテルに泊まってる余裕なんてとてもない。2年間の生活で増えた荷物の選りすぐりをスーツケースに入れてるから人間の生活はできる。心の支えは大好きなギターが一緒なだけ。
ヴィクトリア駅の隅っこで体育座りでなぜかワクワクしながら新たな計画を立てる。それはロンドンの街が機能し始める1週間後まで何とか生き延びて部屋と仕事を探すという無謀な計画。
行くところはないけど新鮮に感じるロンドンの街を両手いっぱいの荷物で30分くらい歩いてみるとガイドブックでしか見たことなかったハイドパークに到着。綺麗で巨大な公園をちょっとだけ観光気分で歩いたりしてると地下道へ。ハイドパークとマーブルアーチ駅をつなぐこの地下道で眠る人を発見。どうするかなんて考えてなかったけど直感で今日はここで眠るって感じたっけ。
この地下道で過ごした3日間は恐らくこの先体験できない貴重な3日間。
イギリス人は結構距離をとったりするんだけどそれとは逆にフレンドリーなイギリスのホームレス。
最初に声をかけてきたのアラブとイギリスのハーフのヤシャ。ここまでの経緯を話してなんだかやっと一人じゃない安心感。他のホームレス仲間?も紹介してもらって中には18歳の女の子もいた。ホームレス歴2年のヤシャからはいろんな情報をもらった。国から援助金として2週間ごとに200ポンド(約40,000円)がもらえるとか、路上で寝てると警察に捕まるからホームレスの多くは犬を飼ってて"散歩中"と答える。しかも犬を飼うと援助金がもらえるとか。それを聞いて犬を飼ってない俺は昼間は公園の芝生で眠って夜は地下道で寒さをしのぐ生活を送ることに。警察が来たときには観光客のふりしたりして。ヤシャは他にも暖かい冬の過ごし方として、1日乗り放題のバスチケットを買って暖房が効いてるバスの中で眠るなんてレッスンも。これはさすがに実行しなかったけどね。冬のロンドンでのホームレス一日目はこうして意外と楽しく過ぎていったのでした。
目を閉じるとなぜか家族の顔が鮮明に浮かぶ。生まれて初めて帰る場所があることに感謝したのもこの地下道。日本へ帰ったら(無事にかえれるならば)家族を本当に大事にしなきゃと思ったっけ。
2日目は不動産屋へ。このまま地下道の住人になるのも悪くないなんて思うよりまえに行動。ロンドンの賃貸は東京よりも高い。礼金なんて文化はなくてありがたいんだけど安い物件がなかなか見つからない。歩き疲れて地下道へ戻る。そしてヤシャからギターケースを広げてギターを鳴らしなさいと次のサバイバルレッスン。1月のロンドンは寒くてまともに弾けてなかったんだけど人通りの多い駅の前でチャリーン、チャリーンと降ってくるコインたち。5時間くらい2人ですわって30ポンド!(約6,000円)贅沢しなければこれで生活できる?って思ってしまった。その日はスーパーでいろいろ買い込んでハイドパークホームレス達とうたげ開始。いまだに忘れられないくらい美味しかったあの変な形のチキンはなんだったんだろう?
だんだん居心地がよくなってきてしまった。。。それでもこのままじゃだめと我にもどる瞬間があったりでなんだか複雑な気持ち。
3日目も不動産屋へ。フリーペーパーに書いてある1週間60ポンド(12,000円)のフラット。これなら払えるとだめ元で電話。ハイドパークから歩いていける距離にあったそのフラット。扉を開けると奥の壁まで2歩くらいの激せまフラット。部屋はゴミだらけベッドだけが置いてある。明日から入居できると聞いて贅沢いってられないのが現状だからその場で決定。他にも3人くらい見に来てたけど"こいつ正気か?"って目でみられてたっけ。敷金と家賃の600ポンドで契約完了。共同トイレと共同シャワーだったけど地下道と比べれば天国みたいなフラット。
日本帰国の飛行機チケット買えない残金になったけど明日からの生活を考えるとそんなことどーでもよかった。早速地下道へ戻ってヤシャに報告。なんか俺は複雑な気持ちだったけど、自分のことのように喜んでくれる彼が最高に格好良く感じた。明日から普通の生活にもどる俺にヤシャがいつもと違う真剣な顔で語りだした。飲食業をやりたかったって話。その夜は飲めないビールを飲みながら朝までずーっとこんな感じで語ってた。
当初の計画になかった奇跡の3日間が過ぎ不動産屋で鍵をもらってフラットへ。嬉しいはずなんだけどなぜだかいつまでも涙がとまらなかった入居初日。カバーもついてないベッドで久しぶりの安眠。
またあの地下道へいくとヤシャはご不在。もともと遊牧民みたいな生活をするホームレス達。もうあえないのかな?それから数ヶ月、神秘的な出来事があったりで仕事も見つかって普通の生活にもどった頃。エッジウェアロードのスーパーの前で偶然再開したヤシャ。友達とフラットをかりて調理学校へ通ってるとか。あのとき真剣な顔してたのはこれを話してたんだね。
あれ以来ホームレスになぜか親近感のあった俺。地下道から数年後のある日、ロンドンで買ったばかりの自転車を盗まれて愚痴を聞いてくれたカップルのホームレスはなんと帰りの交通費を二人のポケットからだしてくれた。なんかすごく温かくて自転車なんてどうでもって思えた。さすがにお金は受け取れなかったけど帰り道はすごく嬉しい気分だったのを覚えてる。次の日どうしてもお礼をしたくてそこにいったけどもう会えなかった。
人生の分かれ道ってのがほんとにあるならあの地下道は俺にとってそのひとつ。
ヤシャが話しかけてくれなかったらまったく違う3日間になってたんだろうね。しっぽ巻いて帰国してたかも?永眠してたかも?
人を助けるって案外簡単な一言だったりするんだね。たくさん勉強させてくれたあの地下道。偶然だけどあの地下道くぐってよかった。
麒麟の田村裕さんの『ホームレス中学生』をY!トピックスでみて思い出す。残念ながらまだ読んでないけどちょっとだけホームレスの経験がある俺様。
イギリスに留学してた頃の何年も前のお話。
日本語をゆーっくり話せば世界で通じると信じてたくらいの小さな脳みそしかない俺だったけど、イギリスで英語を勉強するならロンドン市内の学校より学費は高くても郊外にある学校へ行った方がいいとのアドバイスを参考に語学学校の冊子をサラっとめくって決めた偶然開いたページにあった学校。
チェルトナムというロンドンからバスで3時間くらいの所にあるイギリスの田舎町。ここで過ごした思い出は省略するけどとにかく素敵な2年があっという間に過ぎてく。気がつけば銀行口座は余裕のない数字に。。。あたりまえだよね、2年間完全な学生生活、しかもその当時は就労ビザももってないし田舎町では日本人を雇ってくれるなんて奇跡に近かったから。日本へ一時帰国&出稼ぎするって選択肢もあったんだけどなんだか戻って来れなくなりそーで。そんな感じでロンドンに移住を決心。
今はもっと厳しくなってるらしいけど、当時は12ヶ月以上の学生証明書があれば週20時間までは仕事ができる学生ビザなるものがあった。これを取得する方法はどこかの学校へ12ヶ月以上の学費をおさめて証明書を発行してもらう。その証明書をパスポートと一緒に大使館へもってくやりかたと一度イギリスを出国して戻ってくるときに入国審査官に学生ビザを申請するやりかた。
早速ロンドンのやすーい語学学校(たしか12ヶ月で8万円くらい)へ入校手続き。フラットを借りる余裕もなかったので一番安いルームシェアを依頼。順調に書類は揃ってお別れパーティーで泥酔。あとはビザを申請するため一度出国。冬休みの旅行をかねてスペインに一時帰国する友達2人と一緒にマジョルカ島へ出発!
と、順調に進む俺のロンドン移住計画。このあとの計画は以下の通り。
1. イギリスに戻ったときに空港で学生ビザをもらう。
2. 学校が探してくれるルームシェアの部屋で新しい生活を始める。
3. ロンドンで働きながら学校へ通う。
最高なクリスマスをマジョルカ島で過ごしていざイギリスへ戻る。ガトウィック空港のパスポートコントロールで無事に12ヶ月の学生ビザをGET。ここまではすべてが計画通りにすすんでたんだけど、ここから大殺界スタート。
新しい学校にルームシェアの部屋がきまったらチェルトナムの住んでたフラットに郵便で送ってほしいとリクエストしてたのでヴィクトリア駅の公衆電話から管理人のおばちゃんに電話。年明けのご挨拶を終えて郵便物の質問を。しかーし郵便はないとのこと。。。
今から数年前の1月2日。クリスマスから年明けしばらく街全体の機能が停止するロンドンで電話を切ったその瞬間気がついた。大きなスーツケースとギターケースを持ったホームレス留学生の誕生。
学校に電話してみるもののやっぱり留守電。チェルトナムへ戻れば友達の家に泊めてもらえるとも考えたけど、涙と泥酔のお別れパーティーからまだ2週間もたってない。ここで戻っては日本男児じゃないなんて不要なプライドでロンドンに挑戦。知り合いもいないし行くところも無いといういきなり修羅場で迎えてくれたロンドン。
まずは所持金の確認。ATMで残高を確認すると900ポンド(約18万円)というリアルな数字。このなかには日本へ帰る飛行機代もふくまれてた(約7万円)。そして仕事が見つかるまでの生活費も。優雅にホテルに泊まってる余裕なんてとてもない。2年間の生活で増えた荷物の選りすぐりをスーツケースに入れてるから人間の生活はできる。心の支えは大好きなギターが一緒なだけ。
ヴィクトリア駅の隅っこで体育座りでなぜかワクワクしながら新たな計画を立てる。それはロンドンの街が機能し始める1週間後まで何とか生き延びて部屋と仕事を探すという無謀な計画。
行くところはないけど新鮮に感じるロンドンの街を両手いっぱいの荷物で30分くらい歩いてみるとガイドブックでしか見たことなかったハイドパークに到着。綺麗で巨大な公園をちょっとだけ観光気分で歩いたりしてると地下道へ。ハイドパークとマーブルアーチ駅をつなぐこの地下道で眠る人を発見。どうするかなんて考えてなかったけど直感で今日はここで眠るって感じたっけ。
この地下道で過ごした3日間は恐らくこの先体験できない貴重な3日間。
イギリス人は結構距離をとったりするんだけどそれとは逆にフレンドリーなイギリスのホームレス。
最初に声をかけてきたのアラブとイギリスのハーフのヤシャ。ここまでの経緯を話してなんだかやっと一人じゃない安心感。他のホームレス仲間?も紹介してもらって中には18歳の女の子もいた。ホームレス歴2年のヤシャからはいろんな情報をもらった。国から援助金として2週間ごとに200ポンド(約40,000円)がもらえるとか、路上で寝てると警察に捕まるからホームレスの多くは犬を飼ってて"散歩中"と答える。しかも犬を飼うと援助金がもらえるとか。それを聞いて犬を飼ってない俺は昼間は公園の芝生で眠って夜は地下道で寒さをしのぐ生活を送ることに。警察が来たときには観光客のふりしたりして。ヤシャは他にも暖かい冬の過ごし方として、1日乗り放題のバスチケットを買って暖房が効いてるバスの中で眠るなんてレッスンも。これはさすがに実行しなかったけどね。冬のロンドンでのホームレス一日目はこうして意外と楽しく過ぎていったのでした。
目を閉じるとなぜか家族の顔が鮮明に浮かぶ。生まれて初めて帰る場所があることに感謝したのもこの地下道。日本へ帰ったら(無事にかえれるならば)家族を本当に大事にしなきゃと思ったっけ。
2日目は不動産屋へ。このまま地下道の住人になるのも悪くないなんて思うよりまえに行動。ロンドンの賃貸は東京よりも高い。礼金なんて文化はなくてありがたいんだけど安い物件がなかなか見つからない。歩き疲れて地下道へ戻る。そしてヤシャからギターケースを広げてギターを鳴らしなさいと次のサバイバルレッスン。1月のロンドンは寒くてまともに弾けてなかったんだけど人通りの多い駅の前でチャリーン、チャリーンと降ってくるコインたち。5時間くらい2人ですわって30ポンド!(約6,000円)贅沢しなければこれで生活できる?って思ってしまった。その日はスーパーでいろいろ買い込んでハイドパークホームレス達とうたげ開始。いまだに忘れられないくらい美味しかったあの変な形のチキンはなんだったんだろう?
だんだん居心地がよくなってきてしまった。。。それでもこのままじゃだめと我にもどる瞬間があったりでなんだか複雑な気持ち。
3日目も不動産屋へ。フリーペーパーに書いてある1週間60ポンド(12,000円)のフラット。これなら払えるとだめ元で電話。ハイドパークから歩いていける距離にあったそのフラット。扉を開けると奥の壁まで2歩くらいの激せまフラット。部屋はゴミだらけベッドだけが置いてある。明日から入居できると聞いて贅沢いってられないのが現状だからその場で決定。他にも3人くらい見に来てたけど"こいつ正気か?"って目でみられてたっけ。敷金と家賃の600ポンドで契約完了。共同トイレと共同シャワーだったけど地下道と比べれば天国みたいなフラット。
日本帰国の飛行機チケット買えない残金になったけど明日からの生活を考えるとそんなことどーでもよかった。早速地下道へ戻ってヤシャに報告。なんか俺は複雑な気持ちだったけど、自分のことのように喜んでくれる彼が最高に格好良く感じた。明日から普通の生活にもどる俺にヤシャがいつもと違う真剣な顔で語りだした。飲食業をやりたかったって話。その夜は飲めないビールを飲みながら朝までずーっとこんな感じで語ってた。
当初の計画になかった奇跡の3日間が過ぎ不動産屋で鍵をもらってフラットへ。嬉しいはずなんだけどなぜだかいつまでも涙がとまらなかった入居初日。カバーもついてないベッドで久しぶりの安眠。
またあの地下道へいくとヤシャはご不在。もともと遊牧民みたいな生活をするホームレス達。もうあえないのかな?それから数ヶ月、神秘的な出来事があったりで仕事も見つかって普通の生活にもどった頃。エッジウェアロードのスーパーの前で偶然再開したヤシャ。友達とフラットをかりて調理学校へ通ってるとか。あのとき真剣な顔してたのはこれを話してたんだね。
あれ以来ホームレスになぜか親近感のあった俺。地下道から数年後のある日、ロンドンで買ったばかりの自転車を盗まれて愚痴を聞いてくれたカップルのホームレスはなんと帰りの交通費を二人のポケットからだしてくれた。なんかすごく温かくて自転車なんてどうでもって思えた。さすがにお金は受け取れなかったけど帰り道はすごく嬉しい気分だったのを覚えてる。次の日どうしてもお礼をしたくてそこにいったけどもう会えなかった。
人生の分かれ道ってのがほんとにあるならあの地下道は俺にとってそのひとつ。
ヤシャが話しかけてくれなかったらまったく違う3日間になってたんだろうね。しっぽ巻いて帰国してたかも?永眠してたかも?
人を助けるって案外簡単な一言だったりするんだね。たくさん勉強させてくれたあの地下道。偶然だけどあの地下道くぐってよかった。
2008/01/23 (Wed)

AM6:42 Tokyo 雪
2008年の目標はたしか、"深夜残業をしない" だった記憶が。。。
昨日のランチに何を食べたかなんて絶対に思い出せない俺だけど、2008年が始まってから22日間の記憶をたどってみると深夜残業をしてない日はないのです。そー。異常事態です。打ち合わせ、ご相談、見積もり依頼、発注依頼の嵐なのです。とーてもありがたいことなのですがもうすぐこの俺も30歳♬ ちょっとだけ疲れたりしてます。ほんのり雪降る窓の外をみながら先週末キャンセルしたはずのスノボツアーの思い出をネツ造してみたりとしっかり心も病んでるよーす。
こんな俺を支えてくれるのは六本木ドンキで無意識に買った万華鏡。物理的には絶対何も効果発揮してないんだろうけど心の疲れを癒してくれる病男(ヤミメン)必須アイテム。気に入ったものは何でも予備が欲しくなる俺。今度ロッポンドンキにいったら大人買いしよう。
こんなヤミメンな俺を頼ってくださるクライアントの皆々様。ことしもどーぞよろしくおねがいちゃん。
AM6:42 Tokyo 雪
2008年の目標はたしか、"深夜残業をしない" だった記憶が。。。
昨日のランチに何を食べたかなんて絶対に思い出せない俺だけど、2008年が始まってから22日間の記憶をたどってみると深夜残業をしてない日はないのです。そー。異常事態です。打ち合わせ、ご相談、見積もり依頼、発注依頼の嵐なのです。とーてもありがたいことなのですがもうすぐこの俺も30歳♬ ちょっとだけ疲れたりしてます。ほんのり雪降る窓の外をみながら先週末キャンセルしたはずのスノボツアーの思い出をネツ造してみたりとしっかり心も病んでるよーす。
こんな俺を支えてくれるのは六本木ドンキで無意識に買った万華鏡。物理的には絶対何も効果発揮してないんだろうけど心の疲れを癒してくれる病男(ヤミメン)必須アイテム。気に入ったものは何でも予備が欲しくなる俺。今度ロッポンドンキにいったら大人買いしよう。
こんなヤミメンな俺を頼ってくださるクライアントの皆々様。ことしもどーぞよろしくおねがいちゃん。
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